オープンなクラブ?

いわゆる誰でも入れるクラブや組織なんかのサイトに「誰でも入会できます。お気軽にお問い合わせください。折り返し…」なんて勧誘のうたい文句が並んでいたりするのを目にしますが、あれ、取り寄せて読んでみると「理由は明かさずに入会を拒否することができる」なんて書いてあったりするんですね。まあ、伝家の宝刀ですから簡単には抜かないとおもいますけど。

まあ、いいです。そこのルールってものがあるでしょうから、所属もしない組織のルールに噛みつくなんて恐れ多いことはしませんが。

あたし達はたいがい小学校とか中学校とかで児童会とか生徒会とか○○会なんかを「自主運営」「させられて」きたんですが、実はそれは教育の一環で議会制民主主義の演習なんですな。ところがあたしゃそんなこと知らずに育ってしまいましてね。

というワケでかなり育っちゃうまで組織の意志決定なんてエロイしとがいいように決めたらいんじゃない?とか思ってた節がありますね。それでしょうがないというか所詮ルールなんて有ってないようなもんでしょ?、なんてひねくれてみたりしてね。

ところが有るところには有るんですよ、そういう組織。事前にルールを決めてルールを運用するような連中がいるんですな。

というところで続きは明日。

ナンバー

市民マラソンとかスキーのスラローム何かだと「ゼッケン(Decke)」なんて呼ばれる番号のことなんですが、ドイツ語なんですか。辞書を引くと「鞍の下に敷く番号の書かれた毛布」なんて書かれていてどうやら情報と媒体、両方を指すようですがそれが転じて人間にも着けるようになったようです。市民マラソンとかHogehogeスクール(ダートトラックとかスキーとか)でも着けるあれ、あれもゼッケンなんて呼びますが大元は布、つまり媒体のことなんですね。てっきり数字とか番号のことなんだと思っていましたが。

「鞍の下の番号」てのはバイクにしてみればシートの脇に着けるナンバーにあたるワケで、あの位置にナンバーを着けるってのは歴史的なものを感じます。背中に入れるナンバーもダートトラックレースでは伝統的なんですがそれは歴史的にダートトラックが固定番号制だからできることなのでしょう。レース毎にナンバーが違ってはライディングスーツに番号を入れるなんてことはできません。その辺は合衆国なのでルールを統合しやすいとか、いろいろ他にも固定番号を受け入れる下地があっての話だとは思うんですが。

今ではmotoGPでも当たり前になった固定ナンバーですが30年くらい前は毎年変わっていたような?どうなんでしょうか、中年各位。もしかしてその辺の変更ってのはロバーツシニアの影響だったりするんでしょうかね。

かなり初期のダートトラックレースの写真を見ても背中には大きく番号が入っているのを見ると50年くらいはあのスタイルでやっているんだと思います。古けりゃいいってもんじゃありませんがそれが伝統とか文化なんですね。

というわけで、レースに余念のない皆さん、背中のナンバーもダートトラックレースの一部ですので楽しみませんか。書体や大きさ、名前とかメッセージ、スポンサーの看板等いろいろ悩みながら配置してください。デザインはめんどくさいと仰る方は市販のものもあるらしいのでお手軽にどぞ。それにMXジャージは取り替えの利くものですし、価格もそれほど高くありません。いろいろと違うパターンで楽しんではいかがですか?

転んではいけない 説教のつづきのつづき

レポートも上がらない内から…、ええそうですとも。誰も聞きたくない説教ですよ。

さて、今回のレースで転んでる人がいましたね。まあ、誰とは言いませんが。

以前から「レースでは転んじゃいけないよ」と以前から申し上げているつもりですが。

flattrackexpress.hatenablog.com

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どうやら、まだご理解いただいていないようですのでまた性懲りもなく書く訳ですが。レースで転んではいけません。くどいようですがレースでは転んではいけません。もう一度いいましょうか、レースだけは転んではいけません。

さて、いろいろな理由でレースで転んではいけないと書いてきましたが。同じ事を言っても仕方がないので違う方面から。

転倒後復帰不可ってのはどういうことよ 


転倒するとレースに復帰できなくなるルールが適用されてるクラスの参加者は「それどうよ」と納得していないのかもしれない。GNCにだってない。しかも数年前はバタバタ転んでいたし、もっと前はルールを悪用して転んでいるとしか考えられないライダーもいた。しかし、今は転倒後復帰禁止というルールがある。他の競技にはないルールが適用されるには理由がある。詰まるところ転倒が原因となる事故が多すぎてレースが開催できなくなるからだ。*1

これからここに挙げるその復帰禁止ルール採択に至る過程は、レース関係者から私が聞いた話や受けた影響を総合し、想像したものなので外している可能性も多分にあることを予め断っておく。

なぜ復帰させないのだろう 

なぜ転倒した選手を復帰させないのか。それは、一度転倒した選手は何度も転倒するから。転倒は即ケガや死亡事故に繋がるから。転倒させない、転倒に繋がる可能性を摘むにはそれが最も有効だから。他に理由はない。

転倒が増えるといいことがない。極言してしまえば転倒ばっかりする連中には「レースお断り」の札が貼り出されることになる。それでも転倒が減らなければ「レースをやめてしまえ」と声が上がることになる。そのとき原因となる転倒を繰り返すライダーは、あるいはその周囲のライダーは「仕方ない」と笑って受け入れられるだろうか。

リスク管理 

「オレがどれくらい転倒してるか調べてないだろうって?」そう私は調べていない。しかし「危ない」と称されるライダーがいることをあなたは知っているだろうか。あるいはあなたには自覚があるのかもしれない。だから復帰できない事に納得できないのかもしれない。

なぜだろう、根拠になる記録がないのに「危ない奴がいる」と思うのだろうか。それは実際に危険な場面に遭遇して記憶に残るからだ。一度でも転ばされたり、突っ込まれた経験がある選手なら、原因を作る選手と併走しようとは思わないだろう。それが本能的な自衛行動だ。

私は誰が転倒してどんな状態になったか記録していない。そう、だから私に「オマエは危ないヤツだ」と言われてもあなたは全く痛くも痒くもない。「そんなのイカレタ写真オタクの妄想だ」と言い切ることができる。しかし、誰かが調べていて「あなたの平均転倒率は実走行時間10分あたり1回」と言ってくるかもしれない。しかも他のライダーには転倒の履歴がないのだ。然るべきところから調査結果が出てきたときあなたには否定する術があるだろうか。あなたも転倒率の記録を持っていればよいのだが。

転倒リスクの回避 

’07もてぎダートトラックRd5では善いレースも悪いレースもあった。悪いレースは今は挙げない。オープニングラップの1ターン、そのまま進行すれば明らかに多重事故が発生しかねない状況を、一瞬引くことで回避したライダーが走ったレースはその後展開も滞る事無く進行し目の覚めるような善いレースだった。

結果、そのライダーは優勝しなかった。惜しい1勝だろう。しかし、代わりに得た物があったのではないか。無理をすれば勝てたかもしれない。しかし転んでいれば間違いなく最後尾に落ちる。ほんの少し我慢するだけで優勝はせずともポイントはきちんと獲得した。

そして彼がこの先経験するであろう難しい状況を的確に克服する自信になったと思う。ダートトラックライダーの旬は他の競技よりも長い。他の競技よりも長く楽しめるのだ。無理をせずとも少しずつ巧くなっていけばよい。

転倒しなかった、というのは結果だ。しかしそこには過程がある。転倒が発生しなかったのは単なる偶然ではない。転倒しない、という強い意志とそれを支える技術が転倒を抑え、事故を減らしケガから身を守る。

そして、自分の身を守ると言うことは他の選手の生命を尊重し、レースの存続にも貢献している。

ルール 

転倒は即ケガや死亡に繋がる、危険な事故だ。それはノービスクラスでも全く変わらない。ルールで転倒後の復帰は許されていても、ケガや死亡のリスクは他のクラスと大した差はないのだ。スタート後の1ターンで転倒し首や脊椎に車体が乗った時の事を想像して欲しい。次の瞬間あなたは車体を起こしレースに復帰しているだろうか。

ポジティブリスト 

転倒者リストがあるだろうか。ケガ、あるいは救急車の出動リストはリスク管理には必須のもの、だからきっと転倒者リストもあるだろう。では転ばない人リストは、何になるのか。ただ転ばないだけだ、そういう意見もあるだろう。

もしも誰か抜けの少ない正確な形でレースを記録してくれているなら、無転倒者を教えて欲しい。ここでやってもかまわないなら、無転倒のポジティブリストに挙がるライダーとして讃えたい。最近は転倒するライダーが少ないからリストに上がる人が多いだろう。個人としては副賞は何も出せないがとにかく讃えるだけの価値がある。そこに挙がるライダー達のおかげで共済費の料率は抑えられ、レース中の安全が、レースの開催が維持されているだろうから。

コメント

↑のお話、ライダーの家族としてとても共感しました。追記して下さい。コースを出るまで気お抜くなと言うことも!自分がゴールしていても、後続ライダーに気を使え!とも! -- Oの母?

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コミットメンツ

ヒーローズ大人版を見に行った時の話なのですが、旗を振っている人に「スタッフもやるんですか?」と聞いてみました。なぜ「も」なのかと言うとモトクロジャージを着ていたからなんですが。予想していたとおり「スタッフが少ないからライダー謙スタッフです」というような話を聞くことができました。

さて、翻ってダートトラックのコミュニティについてですが、スタッフとかヘルパーまでやろう、って人はモトクロスをはじめとする他の競技の方々に比べて少ないのかもしれません。現役ライダーがヘルパーを担う事は決して少ないとは思いませんがOBな方々はどうされているのでしょうか。

アタシが最初にダートトラックを見に行った頃から約8年。多くのエキスパートライダーがOBになっているように思いますが皆さん子育てとかお仕事とかお忙しいんでしょうか。たまにはトラックサイドで旗を振ったりとか昔の話を聞かせてもらえると嬉しいんですがね。

現状に絶望しているかと言えばそんなことはないんですよ。先日の花火の祭典のオールスターダートトラックレースでだって全く走らないのに多くのライダーが出場するライダーのヘルパーに来てましたしね。ただOBがいないのはさびしいですねえ。

レースに出るってのはレースが存在する為の要素ですからライダーとしては最優先となる訳ですがレースが成立するには他にも必要なものがあるんですね。金を払うとレースができるってのは大変幸せな環境ですが、現状に甘えてほったらかして置くとそのうち金を払ってもできなくなる日が来るのかもしれません。

僕らはなぜレースが好きなんだろう

僕はレースが好きだ。はっきりしている。勝っても負けてもそれが結果だ。結果だけではなくてプロセスや基準もきちんと公開されているともっといい。無用な制限を課さない基準に妥当な運営プロセスで結果が示されれば納得するしかない。こう書いてしまえばただそれだけのことになってしまうのだけど。

何かが足りないレースもある。それはそれでレースがないよりはいいけれどでも満たされない何かは残ることになる。その何かはだんだん大きくなってレースへの関心を奪い去ってしまうのかもしれない。実力だけがレースを支配するからレースはおもしろいのだ。裏技を使ったりブラックボックスを通すと勝ち抜けるレースがあったらそれは面白いのだろうか。

それは決勝だけの話ではなくてエントリーからのはなし。

みっともない

年甲斐もなく憤ってばかりですが、

flattrackexpress.hatenablog.com

を書く根元的な理由はライダーが転んだりするからじゃありません。アタシは根性ナシなので「口にすると呪われる」と云われる、些末で他人にとっては取るに足らない根元的な理由をここでは挙げません。しかし表面的にはライダーが転ばなければひとまずそのネタからは目を背けていられるのです。

だからどうか転ばないでください。レースで転倒者が出ないと云うのはそれだけで価値があると思います。

転んではいけない 説教のつづき

いまインデックスを作り直してアップしているところだけどそれだけではヒマなのでこの間の説教を改めてしたいと思う。説教がしたいのはもうジジイなったせいだと思うのでみなさんには退屈でもおつきあい願うことにする。

特にノービスのみなさん

なんで転んではいけないのかと云うと転ぶと勝てないから。他の理由はアトで挙げるけどレースという行為に対して最も直接的で重要な理由は他にはない。ダートトラックってのは転んで復帰して勝てるほど余裕のあるレースじゃあない。他のレースと比べてもレース時間や周回数が短いのだからスタートでミスるだけでも勝てなくなるのに、転んで勝てるわけがない。

でも「スタートの後の一周目は転んでも復帰が認められてるでしょ」ってあなた、復帰はできるけどグリッドはペナルティラインからになるんだよ。四列目からスタートして勝てる?

後はいくつか副次的な理由を挙げる。転ぶとケガをしたり、させたり、バイクが痛んだりレースの進行が滞ったり、共済費が跳ね上がったり、家族が心配したりしていい事が一つもない。 もし転んでも復帰後に勝てるようならそれはあなたのいるクラスが間違っているか、ルールに不備がある。もう一度云う、転んでいいことは一つもない。

転倒とはナンなのか?

物理的な面を見れば転倒は物理的な限界を超え走行が維持できなくなった時に発生する。わかっている?そう、そんなことは誰でも解っている。では転倒の意味は。

転ぶことはとても魅力的なのであなたが転ぶことへの欲求を断ち切るのは難しいことは私も知っている。転ぶというのはとても劇的でまるで潔さを象徴するかのような行為なので、ラップリーダーで転倒、最下位という結果でも「ぎりぎりまで踏み込んで転んだのだから仕方ない」ということを自分と周囲に承認するよう要求する。

例えば、中途半端な成績を残すよりも一か八か、勝ちかそれもとDNFか、という戦略もある。持てる能力を使い切っていれば確かに勝つこともあるだろう。この戦略は勝ったときはいい。得意な状況で乗れていれば少々無理をしても転ばずに勝ち抜けることができる。では限界を超え転んでしまえば?。負けているのだろう。もしかすると誰かを巻き添えにしているのかもしれない。

一か八かの戦略を続け優勝か転倒かのレースを積み重ねいくとき、あなたの勝利は皆に喜んでもらえるのだろうか。他の選手は勝利と引き替えに自らの身体や生命を転倒リスクに曝しているだろうか。いいときはいい、でも転ぶかもしれない、そんな選手とあなたはターンに並んで飛び込めるだろうか?

むしろ、ぱっとしない成績でも、技術を身につけ状況に応じて車体や体調を調整し思った通りのレースができたとき、その結果の成績こそに価値がある。結果を積み重ね、成長し続けることこそがこの競技の肝なのだ。ダートトラックは他の競技に比べ選手の現役時間が長い。年を重ね、身体のピークを過ぎても積み重ねた経験と技術で状況を的確に判断しマシンやライディングを調整することで、体力や反射で勝ることのできない若い選手に対抗することができる。つまり状況を問わず安定した結果を残せる選手にこそ価値がある。

レースには何が起こるかわからない。安全マージンを残し危険な状況からできるだけ遠ざかる必要がある。だから転んではいけない。安易に転倒を選ぶ事はつまり、残るはずの成績を失い、身体や金銭の他に信用までも失う可能性を高くしていく。

巻き込まれる

転倒に巻き込まれたから仕方がない。そういう事故もある。確かに避けようのない接触はレースでも起こりうるし、実際に発生する。「だから…」といって転倒しやすい状況に甘んじるのは決して得策ではない。危険を避けなければそれはあなたにも害を及ぼす事になる。レース中のリスク管理はライダーであるあなたにしかできないのだ。もし危険な状況やライディングを発見したらあなたにはそれを回避する必要がある。これを回避せず危険と併走することはギャンブルに他ならない。一定の確立で事故に巻き込まれることになる。つまり危険な状況を生み出すことに荷担していると云わざるを得ない。

あなたにはあなたと他のライダーの身体や生命を守るために危険を回避する必要がある。転倒に巻き込まれる危険を避けるため、無理をすれば得られたであろう順位を落とし不本意な結果を記録に残したとしても一度や二度勝てなかったらと云って悔やむ必要はない。安全で安定したライディングをする選手はリザルトが良い優れたライダーであることを証明する。

転ばないために

転倒は癖なので転び続けると治りにくくなる。ダートトラックを始めたばかりのライダーの転倒は「転んでもいいや」と思うから転ぶのであって、自ら転ぶ状況を予め作り出して、その通りに体を動かすからだ。しかし、あなたにその自覚があるかはわからない。あなたにとって簡単な矯正方法は良い優れたライダーに教えを請うことだろう。その次は自分の姿と目標にしているライダーの姿を比べて相違点を洗い出すことだ。ビデオや写真を見比べ違いを探すことは難しいことではない。目標にするライダーの写真はあるが自分の写真が無くて比べようが無いのであれば私に「撮って欲しい」と云えばいい。それくらいは私にも手伝える。

しかし、その先はあなたにしかできない。教えや映像から転ぶ理由と速く走る理由を見つけ出し、体系化すること。良い優れたライダーと自分の違いを自覚して体を意志の通りに動かすこと。この二つははとても難しい。意識を集中させ思考や練習を重ねるしかない。

まとまらないな

説教が臭いので煙たい感じですが、これでもソートー、トーンダウンしているんですよ。物理的にとかネットワーク的に近い人にはもっと極端でバランスの悪い持論を展開しているので辟易されているのですよ。そこまでは必要ないだろうと思って今日はここまで。

昇格とは?

昇格って何でしょうか。日本人特有の習い事コスト認定制度じゃないか?なんて意見もありますが、紋切りな意見はさておいてダートトラックについて考えてみましょう。AMAのアマチュアローカルでは、誰でもどのクラスにでも出れるようです。つまり自己責任なんでしょうな。誰かにお墨付きを得るのではなくて勝っても負けてもそれが実力、本人の責任なのでしょう。実はその前のディストリクトに所属する前にはロバート法的な儀式があって、あれはアレで向こうっぽいと感じるんですが。その辺はまた今度。え?それもかなりローカルなんでしょうか?

翻って国内で昇格すると何かいいことがあるのかと言うと、もてぎのルール的には400mトラックをレースで走れるとか450なエンジンを回せるとかあるわけです。非常に表面的な事柄だけ挙げますが。誰が昇格するのかというと開催クラスに3を掛けた人数で上位から昇格の権利を得ますな。つまり4位以下は同程度に腕がよくても上がりにくい(上がれないワケではないんでしょうけどムツカシイ)わけで、そこはデジタルに処理してるようです。

上がれなかったからといって上がれた人との差が天と地ほどもあるかと言うと、まあそういう事でもないんですね。だからといって何となく上げてしまうんではルールの価値がないのでその辺は特別なジジョーで勘案するのでしょう。

で、昇格とは何なのか?ナニがいいのか?ライダーにとってナニが利点なのか?

システムから言えば昇格するライダーを絞ることで技術の習得や伝播が加速するのだろうと思います。野放しに出たいレースに出させて、ルールや言外の習慣を得ずに走られるといろいろと問題も多いでしょう。レースの結果という客観的なデータでライダーの成長を計ることを示しておくと気が付く人は伸びる、気が付かない人はそのまま、で、結果伸びる可能性のある人の成長を加速するのでしょう。

ライダーにとっての利点も全く同じです。ただうまくないライダーは、あるいはシステムに特化できないライダーはいつまでたっても利点を享受できずに苦しむことになりますが、それもまた上がってしまったライダーにとっては利点であることも事実です。

昇格というシステム、少ない競技人口の日本人ダートトラックライダーがAMAで成績を残す要因の一つではないかと考えています。

さて、よりAMAのルールに近くなった今シーズン、ライダーに求められている事は?

転ばない

救済措置としての残り1戦が予定されているWranglerもてぎダートトラックレース。今シーズンの予定はすでに完了していて、1戦のみが開催されただけだった。いずれもレインドアウト。

雨で中止が続くといらいらする。反面、エキジビションには毎回行くことができてすっきりしたエキジビションレースをみることが多かった。エキジビションだから出てくる選手はみなエキスパートライダー達。滅多に転ばないし、Jローカルなパレードラップもほとんど見ない。

走りがスムーズだから、転びそうにないから、ハラハラしないから面白くない、ということはなくて、ジワジワとターン毎に前の選手を追い込む姿、ターンに入っても2ワイドで走るライダーを見ると、興奮せずにはいられない。全く個人的な好みを挙げれば競り合いこそがレースの華だと思う。背景にはよくグルーミングされたトラックや、技術が向上したライダー達が難しい路面になっても安全マージンを残しスムーズな走りを心がけていることにある。

転ばない、ってことはレースにおける勝因の一つだし何よりも安全。自分の体にも他の選手も体にも優しい。転んではいけないということではなくて、練習の時に自分を追い込んで転ぶのはよろしいかと。周りに誰もいないことを確認して新しい領域に踏み込んでいく。うまくいけば先が見えるだろうし、ダメなら転ぶだけ。もちろん転ぶだけの理由があって転ぶのだけど。練習でも転ぶ確立が高ければ、レース本番でも同じでなかなか精度良く決まらない。

レース中の転倒を極言してしまえば、それは練習ではなくてレースだと言うこと。レース中はワケがわからなくなるくらい興奮するものだし、先にいる人が転ばないことを前提に走っているからレースで転べば練習よりも突っ込まれる確立は高くなる。転ぶ、転ばないってのは自分の命にも他の選手の命にも関わる重要な分岐点だから転ぶことを、転ぶかもしれない行為に及ぶことを簡単に選んではいけない。

あと1戦残されたレースで誰も転ばないレースができたら画期的なんじゃないかな。ライダーが安全にもちっと気を配ればできるはず。その要因に環境がない、とは言わないけど、最終的にはライダーの選択でしかないのだから。